皆さんは、岸洋子さんを覚えていますか?夜明けの歌、希望、恋心などをヒットさせた、日本のシャンソン歌手です。洋子さんの人生や、功績を是非後世に伝えるべく、このページが役立つことを祈ります。

岸 洋子




皆さんは、岸洋子さんという人を覚えているでしょうか?

かつて、越路吹雪さんと人気を二分した、稀代のシャンソン歌手です。

その岸洋子さんの功績や、人生を、1人でも多くの人に知っていただければ、そう思って、このwikiを創設しました。

是非、後世へと語り継がれる事を祈りつつ...



デビュー当時。東京芸術大学声楽科を卒業し、シャンソンの道へ。ヒールを履けば170cmを超える長身が目を引きました。



68年リサイタル、心のうたより。この頃、夜明けの歌や恋心など、ヒット曲に恵まれ、順風満帆な歌手生活を送っていました。



76年リサイタル、秋に寄せる3つのイマージュより。70年に発症した難病、膠原病から再起し、円熟期を迎えています。



83年、NHKホールでのリサイタルより。益々歌声には艶がつき、表現力にも磨きがかかります。



89年、芸能生活30周年リサイタル。最晩年にも関わらず、表現力、技術は全く衰えず、素敵な歌声を疲労してくれました。


洋子さんの人生を一言で表すなら、「病との共存」でした。洋子さんは、オペラ歌手を目指し東京芸術大学声楽科を卒業。しかし、心臓神経症に襲われ、オペラ歌手を断念します。毎日がどん底で、自殺を考えたとも言う洋子さん。そんな中、人生を変える一枚のレコードと出会います。それは、フランスの有名なシャンソン歌手エディット・ピアフの、アルバムでした。「オペラが出来なくても、シャンソンがある。」そう思って洋子さんは、シャンソンの道へと進みます。それから、夜明けの歌、恋心、想い出のソレンツァーラなどをヒットさせ、1970年には自身の代表曲となる「希望」を売り出します。しかし、ここでまた病が洋子さんを襲います。故郷の酒田で、公演後、意識を失い入院。診断は、「膠原病」。生死の境を彷徨い、再起不能とまで言われました。しかし、洋子さんは半年の入院を経て見事にカムバック。それから20年、歌い続けました。そんな洋子さんの人生を、このwikiでは、洋子さんが大好きな高校生が、洋子さんの人生を紹介します。


コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

人物

  • 年表?
  • 人生?
  • 家族?

曲へのリンクは下のシングル年表から

メンバーのみ編集できます